

こっちの痛み、あっちのイタミ
久々に月曜AMの中央線に乗って、出張に向かっています。 普段なら憂鬱なのに、いつもながら中央線の心づかい(真冬の寒い日でもちゃんと窓が空いているほど換気が徹底していてありがたい)により、適度な冷房とガンガン入る外気、この1年で最も素晴らしい気候、そして竹内まりや「Plastic Loveに」より完全にチルい移動(脳内ひとりクラブ)と化している。車掌さん、いつも快適な旅をありがとうございます。 そういえばすれ違う後部運転席、ふたりの車掌さんが楽しそうにおしゃべりしながらどこかへ向かっているのが見えて嬉しい気持ちになった。 日本の憂鬱で過酷な満員電車を高校の時に体験して、将来は絶対に出勤がない仕事にしようと決めた17歳の頃。意図せず20年後の自分はそうなっているわけだが、移動中にしかできない体験や心象というのもまたある。 たとえば毎週何曜何時の電車にはDJが同乗していて、憂鬱な移動時間を痛快に出勤できるなどあれば(通常の2-3倍の交通費に設定するなどして)、コロナ禍で大打撃のインフラ経営にも影響を与えられないだろうか。楽しい気持ちで出勤できれば長期的


ダウンタイム
ややオネエ感があるものの徐々に声も戻ってきて、少しずつ準備体操をしながら(そして大量の龍角散を消費しながら)日常に戻りつつある感じです。 なんだかちゃんと良いものを良いと思えなかったり、感情がやさぐれてつかれてしまった時、皆さんはどう過ごしていますか? 歳をとってよかったと思うことのひとつが、自分のダウンタイムをそれと認められること、無理に走り続けようとしないこと(体力的にできないからねw)、そしてある程度「自分の傾向と対策」を把握できていることだとつくづく思う。声が出なくなったのと時を同じくして、精神的にも落ち込み始めた時期があったけれど、そういう時は普段見たり聞いたり考えなくても済むようなことを見たり聞いたり考えてしまいがちで、しかも私は割とドツボにハマるタチなので笑、今回は早めから全力で自分の機嫌を取りに行った。と言っても声がでないのでできることは本当に限られていたけれど。 その中で今回一番効いたんじゃないかと思えたのが、昔から好きな本をゆっくり読むこと。 私の場合はよしもとばななさんの本だったんだけど、普段デジタル漬けなせいもあるのか?紙


コミュニケーション・アニマル
先週、声帯炎なるものの診断を受けてから早1週間。 この症状の一番の治療は「寡黙療法」とのことで(先生がそうおっしゃった時、カモク??あ、寡黙・・と思わず聞き返してしまった)、この1週間ほど頑張ってしゃべらずに(ほぼ声は出ないのだけど)過ごしています。 声を出さずに生活していると、この社会の在り方がいかに「声を出せる人たち用に」作られているかがしみじみ感じられて、自分のこれまでの至らなさを思う。遠くから声をかけられ返す必要があったり、窓口で話す必要があったり、特にいま3歳児を育てていると育児周辺は発声なしには回らないことばかりだ。 それに加えて、まぁこれまで自分のよくしゃべり続けてたこと。 よく明石家さんまさんが、新幹線の片道(3時間ぐらいかな?)ずっと隣の席の人に話し続けていた逸話を聞くけれど、これ私も結構できちゃう自信があるぐらい普段しゃべってます(笑)。自分の仕事は話せないと仕事にならないので困るけれど、特に生活や育児については自分はしゃべりすぎていたので、これぐらいの方がちょうど良いこともあるなぁなどと。私生活では無駄口を叩かなくなるので思


自分の言葉で語るつよさ
先日母と話していたら、私は高校の頃「"世界の車窓から"みたいな旅をしながら文章を書いて暮らしたい」と言っていたそう。(!) それを聞いて私は「本当に?それ、私が言ってたの??」というぐらい忘れていて驚いたのだけど、自己という存在はそんなもので「自分は変わらないひとつの存在である」というようなことは生物学的にも誤りで(細胞レベルでも数年ごとに別モノに変化し続ける集合体のようなもの)、だからそんな自分を記録し保存してくれる家族や友人は本当にありがたい存在でもある。(そして日記も) それからあっという間に20年ほど過ぎて、「個人が超面白い時代」になっている。最近夜寝る前に数時間、色々な人のYouTubeをむさぼり見ているのだけれど(それはもう貪欲に)、これが従来のどんなメディアよりもリアルな人間模様や考察を垣間見られて本当に面白い。そして改めて驚くのは、従来は巨大スポンサーがつき大手テレビ局が企画していたような海外企画を、いまはコロナ禍もあってテレビ局の代わりに個人のYouTuberが(場合によっては海外の政府観光局から正式に依頼を受けて)実現してしま