

ノイズに耳を傾ける
「ファクトフルネス」がベストセラーを誇り、コロナ禍で世界的にデータ&サイエンスの重要性が日々謳われる中で、それ以外の情報である「ノイズ」をいま改めて大切にしたいと思う。 人間はどこからやってきて、どこへ行くのか。なぜ生きて死んでいくのか、どこからが生で、どこからが死なのか、現代医療が便宜的に決めたものはあれど、正確には答えが見えていないというかわからないことの方が多い「生きている」「人間」のすることって、そんなに正確で杓子定規に測れるものなのかなぁと思うことがある。 日々、仕事や会議をしていても「論理的にはそうなんだけどさぁ」っていうこと結構ありませんか? 決してデータ&サイエンスを否定するつもりはないし、むしろデータ&サイエンスとノイズは両立しうるとも思っているんだけど、「その通りかもしれないけど、自分も相手も人間だし、日々私たちが対峙しているのは自然だし、そうじゃないことももちろんあるよね」という前提を共有できるかどうか。むしろその一刀両断できない隙間をどうしていくかこそに人間の真価が問われるのではないのか。 経営は数値化できる、経済は定量的


風を読む
最近、以前にもまして「風を読む」ということが増えてきた気がする。 それはひとつとして同じ仕事がなく(ほぼ全てが新規事業)、日々前例のないことに取り組んでいるからかもしれないけれど、時代のせいもあると感じている。 いまは私たちが思っている以上に社会が劇的に変化を遂げている時期で、日々政府の対応やオリパラ関連の対応を見るにつけ、「もしコロナがなかったら」と思う方が怖いほどのウミがいまどんどん出てきている。悲惨な状況の中で、これだけは決して忘れちゃいけないことだし評価すべきことだと思う。もしコロナがなければ、上向きの空気感とともに、いま急速に見直されている様々なこと(本質的な多様性や、働き方、あるべき分配など、課題はまだまだ山積みだけどそれでも)が「まぁとりあえず今は調子がいいし、いいや」と、見過ごされてきていたんだろうなと。それにしては私たちはあまりに多くの授業料を払っているとも思うけれど、もはや私は予定通りオリパラが開催されていた事態の方が怖い。 今年、密かに掲げていた絶対やらない3つのことがあって(ときにやるべきことよりやらないことを決める方がシ