
私の小さな反抗
急激に夏がやってきて、梅雨を失った2022年。このまま日本は亜熱帯気候になってしまうのだろうか? 毎年、ジメジメと長い梅雨は洗濯物は乾かないし、気分もふさぎこむしそれは嫌でしょうがないのだけれど、一度梅雨をすっ飛ばしてみると、あれはあれで夏に向かうための必要な準備期間だったと体が実感している。(そして水不足、大丈夫かな) こんな働き方と仕事を続けていると、どんどんどんどんメジャーなものに興味がなくなって、ますますマイナーでも気概のあるヒトモノコトを応援したりサポートしたり、それらが輝くためのお手伝いをするようなことの方に生き甲斐を感じるようになってしまった。いや、元々かな?そういえば私は占いで「マニアック星人で、応援する人する人が成功する星を持っている」と言われたことがある。これは多分気のせいだけど、全く空いている店内に1番目として入り、あっという間に満席になってしまうことがよくある。(何の話 でも世の中はそううまくは回らなくて、小さくても素敵で気概のある仕事をしている人たちはなかなか認められないようになっている。認められないどころか、虐げられて

楽しい、の持つ無限の力
新しい週の天気が良い月曜日は、朝から3回洗濯機を回しながら仕事をしています。 20代の頃は、特に自分の意見や考え、アイディアをいかに論理的に伝えることができるかということがある種テーマだった(その力が本当になかったので)のだけれど、最近はあらゆる人たちとお話しさせていただく中で、説得力や論理性以上に、もっと心の奥底に届くような言葉、話をできているかをよく考える機会が増えたように思う。 もちろんそこに届くためには、きちんとした情報や論理性とか、然るべき話し方がもちろん必要なのだけれど、もっとそれを超えた何か。最近そんなものを探し続けている。 先日、とある市役所の皆さんと今後の町の未来に向けた戦略を考えるワークショップをさせていただいた際、部長の方に「久しぶりに楽しかった。若い頃を思い出したような気持ち」とおっしゃっていただけたことがあって、まさにこれだ!と思った。そしてそこから会議の様相が少しずつ、進み出してきたようにも思う。 「楽しい」の持つ力は私たちが思っている以上に偉大で、現在の経済合理性では計り知れないから認識されにくいかもしれないが、そこ