

より小さきものたちへの目線
今年は九州へ帰省もできないので、近隣で慎まやかに数日だけの夏休みを取りました。 本当にコロナというものは、楽しみから順番に奪っていき、仕事だけが取り残される笑 (それでも私は人とする仕事が大好きだから、ありがたいことだけれど) 久々に首都圏を飛び出して、長野に一泊しました。 世の中GoToだStayだと言われているけれど、私は年明けから自分は常に隠れ陽性者であるという認識で生活しており(未知のウイルスにはそう対応するか、すべての生活を投げ捨てるしか道はない)、若年層は発症しにくい傾向にあることから、自分が無意識に地域の、特に高齢者の方に移してしまう恐怖の方がずっとあるので、できる限りマスクと除菌、接触を断ちながらの滞在ではあったのだけれど・・なんだかとても思うこと、感じることが多い旅でした。 滞在したのは長野県でもあまり有名ではない、小さな温泉なのだけれど、周辺の環境や泉質が大好きで何度か訪れている場所。宿は、ご家族で切り盛りされている小さな場所。なんと我が家のみで貸切でした。(そしてGoTo対象だったらしいけど、色々思うところがあり活用していま


蝉の季節
毎日しきりに蝉が鳴いていますね。 この大音量を昼夜問わず1週間出し続けるエネルギーを蓄積するには、やはり地中での7年間が不可欠なんだろうなぁ。今年地上に出てきた7年生、それ以外の1〜6年生、さらにその間に地上がコンクリートで覆われてしまった蝉たちのことを考えて気が遠くなる。そして毎年、7年前の自分を振り返る。 そしてこの時期は毎日、道路で弱々しくなっていたりお亡くなりになった蝉たちの弔いに余念がない。7年間も地中で力をためて、幸運にも羽化に成功して(蝉の羽化は本当にすごい、今年は何匹も羽化できなかった蝉を見た)、1週間力のかぎり鳴き続けた結果、アスファルトの上で土に還ることもなく息絶えるなんて、なんだかそんなことはあってはならないと思ってしまう。 そういえばSNSで見かけた海外の方の投稿で、こんな内容のものを見かけた。 「日本に来て、一番びっくりしたことは蝉の鳴き声。映画やアニメで聞いたことはあったけど、効果音だと思っていた。本当にこんな音がするなんて」 確かになぁ。海外で蝉の鳴き声がして、「これ、もしかして蝉?」と聞いたら「ん?よくわからないけ


物語の重要性、意味を求めること
最近、読んだ記事で「7月末まで雨が続くのはもはや梅雨ではなく、雨季だ」と書いてあって、妙に納得。新ブランド米も続々と出ているが、あれも多くが日本の亜熱帯化に合わせて品種改良されているとか。米はすごいなぁ、もうこの気候の変化に適応していると感心した。人間はおそらくそんなに早くは適応できない。最近、食べるものにスパイス料理を多く選び、作業BGMもボサノヴァが増えているのはその影響かもしれない。(?) 最近、とても面白い本に出会った。 社会学者の岸政彦さん「断片的なものの社会学」(2015)。立命館の先端総合学術研究科で教員をされている。この頃、特に激変する生活や社会で特に「物語の重要性」について考える機会が多かったのだけれど、岸先生は以下のように述べている。 ー私たちは、物語を集めて自己をつくっているだけではない。私たちは、物語を集めて、世界そのものを理解している。(中略)そうやって私たちは、日常的に、さまざまな物語を集めて生きているのだが、(中略)物語は生きている。それは私たちの手をすりぬけ、私たちを裏切り、私たちを乗っ取り、私たちを望まない方向に


短い夏の夢(とあるバーでの出来事)
1ヶ月以上にわたる梅雨を終えて、ようやく夏が来た! 毎年思うのだけれど、「夏ってこんなに暑かったっけ?」と。毎年のことながら自分の生きものとしての生存力の弱さを憂いています。 そんな夏の日に、思い出すことがある。 会社員をやめて、しばらく提案や打ち合わせで転々としていた頃。 なので、5年ぐらい前かな?鹿児島市内のとあるバーに流れ流れて辿り着いたことがある。 もちろんひとりで。鹿児島市内は割と歴史があり舶来感のある(という表現がぴったりの)建物やお店がそこここに残っていて、それが私の好きな理由のひとつでもあるのだけれど、そのお店はもれなくそんな雰囲気を残しつつ、とても素敵なオーナーさんが経営されていた。(思えばひとりでバーなんて、いまの生活からはいろんな意味で程遠く、感慨深い) 後にそのバーでは色々とお取引など含めてお世話になることになるのだけれど、初めてひとりで飛び込んだその夜に、なんだか不思議な体験をした。 おそらく鹿児島では、その時間やそのお店に20〜30代の女性がひとりで来ることが珍しかったんだろうと思う。(確かに通りやお店でそのような人を