

無意識の向こう側
去年の2月から毎週1記事ずつ書いてきたこの乱文紀行も、あっという間に1年! 今週も素晴らしいお仕事や機会をいただき、書きたいこともたくさんあるのだけれど、昨今どうしても看過できないことがありこれについて書くことにします。 このたった数日で、世界に自国の文化を発信し、平和と友好を深めるイベントであるはずの五輪組織会長が"女性蔑視発言"を行い(その後任手続きも全くそのコンセプトを理解されていないようである)、某有名企業の会長が強制わいせつ致傷(現金なども盗み)で逮捕される。 これは"いじめ"と同じだと思うんだけど、"女性蔑視"などという曖昧な表現を使って問題の所在を曖昧にしていますが、これはグローバルに見ても明確な「女性差別」ですよね。日本のジャーナリズムはなぜそれを報道しない?(ちなみに私はもちろん彼の全文を見ていますし、その上でこの件に関してマスコミの"作為的な切り取り"はないと考えています) 先週から今週にかけてこの報道を立て続けに見て、この国の女性への意識が現れているようでめちゃくちゃ怒ってます。 某組織会長の発言に関して思うのは、私も同じよ


誰も知らない自分になる
先週色々と怒涛で、少し疲れたので今週は怒涛を少し抑えながら、休み休みやってます。 (そういえば地味に12連勤だったし、体は嘘つかない) 今日も今日とてすごいタイトルでまぁ自分でも驚いてます。笑 最近、以前のようには旅に出られないので、過去に旅した思い出をよく反芻しているんだけれど、20代初めの頃はそこはかとなく、全く誰も自分を知らない土地へ行き、誰も知らない自分になる感覚がとても好きだったのをよく覚えている。モントリオールに留学していた頃、バックパッカーでヨーロッパなどを旅したし、その後も東欧やアイスランドを訪れたけれど、モントリオール発なので、そもそもが全く母国ではないところからのスタート(そういえば留学中、私はいわゆるホームシックというものになったことがなかった)、そこからまた異世界へ。異世界から異世界の、もはや自分の座標軸を失うぐらいの旅。でもよりひとりになって、誰も知らない環境に行けば行くほどわくわくした。 あの時の感覚ってなんだったのかなぁと最近よく思う。いまだったら若干不安を覚えたり、道中何かあったらどうしようとかそんなことを考えたり