

草原と流氷
先日、アイヌの伝統楽器「トンコリ」の奏者であるOKIさん率いる、OKI DUB AINU BANDのライブへ行きました。(以下、写真はすべて「OKI DUB AINU BAND」公式サイトより) 昨年5月に女満別〜知床〜稚内〜旭川をめぐる旅へ行ったのですが、その時からアイヌの歴史文化にたいへん惹かれ、今回OKIさんがたまたま私の自宅近くでライブをされるということで、勇んで参加しました。 トンコリとはアイヌ文化に伝わる伝統的な弦楽器で、大自然の中を生き抜く生き物のような造形がなんとも美しい。音色も、ギターのようなお琴のようなユニークできれいな音です。 今回初めてOKIさんのトンコリをお聞きして知ったのですが、基本的に口承文化のためトンコリの弦の数・位置などまで奏者によって違うらしいのです。OKIさんは、現存する無形文化を継承するためにひとりひとり周って、曲や歌を受け継いできたのだとか。由来も、中にはその歌詞の意味でさえもわからない曲もあるのだとか。 「これ、どういう意味なんだろうね〜」と言いつつ奏でる音色は、意味を超えて時代を超えて、広い広い北海道


日々、流れゆく
日々慌ただしく動いていますが、気持ちいい4月の夜道を歩いていて、ふと思いました。 「いまが一番しあわせかもしれない」 学生のときは学びばかりで頭でっかちだった。 働き始めた頃は激務で、ゆっくり学びながら振り返ることができなかった。 でもいま、日々学びながら模索しそれを実践で試行錯誤し、毎日明日の自分にフィードバックすることができる。貪欲に学び勉強したものをリアルの場で試行錯誤して、また軌道修正して。 全然まだまだだし、もう少しできるんじゃないか、と日々思うんだけど、家族がいて、仲間がいて、あらゆる先をゆく先達に支えられて。ゆっくりだけど、着実に前に進んでいる。 すごく恵まれてるじゃん、と思った。 「いまが(これまでで)一番しあわせかもしれない」に訂正しつつ、これからさらにしあわせになることを目指します。 10代の頃から問い続けてきた、"いまを精一杯生きる"ことの意味が遅まきながらようやくわかりかけてきたような気がする31年と9ヶ月8日です。


実態のない記憶
宇宙をさまようことよりも、地球に帰れないことよりも、「実態のない記憶」が何よりも恐ろしいと気づかせてくれたのが「MOON(月に囚われた男)」。 信じていた希望が、記憶が、実は実態のないモノだったと気づかされた時、人はどうするか?私だったら・・?と、始終いやな汗をかきつつも目をそらずことのできない映画。 なぜなら、実際の生活において自分自身がいま記憶だと思い・大切にし・心のよりどころとし・あるいは執着しているモノの実態すらもまた、カタチもなく証明すらできないものであると、ふと気づかされるから。そのなかで生まれる生物 / 非生物(そもそも、何を非生物とするかももはやわからなくなってくる)間での思いやりや愛情にだけ、ひととき救われる映画。 久々に良い意味でイヤな映画に出会ってしまった。


醸造される音楽
先日、Norah Jonesの来日公演に行きました。 彼女の音楽を17歳のときに聞き始めてからちょうど15年目で、始まりのような終わりのような、なんだかとても不思議な気持ちで武道館に向かいました。 彼女はとても幅広いファンの多いミュージシャンだし、公演に行かれた方もとても多いと思うので、あくまでも個人的な本ブログにおいても最も個人的なメモリーとして、音楽について思ったことを記しておきたいと思います。 彼女の音楽に対する姿勢と音楽性がもたらすものだと思うのだけど、音楽の記憶は風化するのではなく、ワインのように蓄積され醸造されるのだなと改めて思いました。そしてそれを聴いていた当時の年齢によって、醸造のされ方も変わってくるのだと。 17歳のとき、始めて彼女のCDを買ってMDプレイヤーに落とし通学の満員電車で聴いていた。当時は心身ともに色々と大変な時期で、眠る時にもかけていた。そのおかげで思い出と音楽が一体になって私の記憶と体に染み込んでしまった。(2002年、Come Away With Me) 19歳のとき、大学受験に失敗し初めて人生のレールから(そ

目に見えることば
先日、日本で初めて開催された「東京ろう映画祭」に参加しました。 お恥ずかしい話ですが、私は今まで身の回りにろう者の方がいらっしゃらなかったこともあり、ろうの世界がこんなにもユニークで、ユニバーサルな独自の文化を築いているとは全く知りませんでした。そして、ろうの世界の拍手の仕方でさえも。(実際にそれは、"目に見える拍手"として私にはとても感動的な発見でした) 私が参加した日の映画祭では、ろう者を取り巻く環境をドキュメンタリー形式で追ったフランス映画「新・音のない世界で」の上映と、フランス人のレティシア・カートン監督(彼女自身は聴者)、実際に出演されているレベント・ペシュカルデシュ氏(ろう者)による舞台挨拶・トークイベントがありました。 私は普段、言葉を交わす相手の目をきちんと見て、思いを伝えているか? 終始そう問いかけられる内容でした。 いまだ続く差別や追いつかない社会制度の中で、諦めずにメッセージを発し、またそれを受け取る「言葉のドア」である彼らの目はとてもきらきらとしていて、自分がいかに音ばかりに頼りきったコミュニケーションをとっているかという


フランス人女性の美しさは情熱とユニークさでできている
フランスといえば芸術の都・パリ。 ボンジュ〜ル、ジュテーム。そんな世界で果たしてスポ根は存在し得るのか? 正解は、イエス。 2013年のレジス・ロワンサル監督「タイピスト!」(原題:Populaire)。限りなくユニークな形で、それは確実に存在し得る。 フランス在住20年の方から「面白いから絶対に観た方が良い」とおすすめいただき早速レンタル。タイトルからは、なんのこっちゃ。なんだかOLの話かな、と思いきやとんでもない。ずば抜けた技能を競うタイピング選手権のスポ根ムービーであった。 1本指打法から10本指打法に矯正するためにネイルカラーを対応エリアのキーごとに塗り分けたり(それがまたすば抜けておしゃれ))、より早いタイピングを実現するために肺活量を鍛えランニングしたり、敵を精神的に追い詰めたり・・嘘だろ、と笑えるほど、まさに女の戦い。 ユニークに、情熱的に(そしてかわいく)自分の夢を追い求める1950年代の女性が主人公。時代の変化や上司、男性?関係なし。「私は私のまま。違うのはドレスだけ」自分という存在と、夢を情熱的に追い求める姿はとっても健気でキ


旅は何歳になっても
1970年代+ロードムービー+おじいちゃん&猫、というなんとも不思議で、ありそうでなかったお話。1974年のアカデミー賞受賞作品。(後から知ったのだけど、かの淀川長治さんが「最も好きなアメリカ映画のひとつ」とおっしゃっていたそう) 舞台は戦後30年が経つ、移民大国アメリカ。 主人公・ハリーが妻に先立たれ、ニューヨークの長年暮らしたアパートを追い出されるところからストーリーは始まる。監督のポール・マザースキー氏もウクライナからの移民ということで、劇中には「資本主義が・・」「母国では・・」などの会話が飛び交う。ハリーの「ニューヨークはもう私の街ではない」という言葉を始めとして、戦争・大恐慌など激動の時代を経験した世代がそろそろ引退するタイミングで、次の世代は内陸部のコミューンを目指し、ヒッピー文化が形成されていく。そんな移りゆくときを、悲観するでもなく、振り返るでもなく、ただそれはそれとして自分の生を全うする、ハリーおじいさんの視点から見られたのが一番面白かった。 とても気になったのはエンディングで、アメリカ各地に住む自身の子どもたちに会いに行きなが