

懐かしい夏、草いきれ
台湾の巨匠、候孝賢(ホウ・シャオシェン)の「恋恋風塵」(1987)。 時に冷酷なまでの対象との距離感と、そこで展開されるほんのささいな、でも二度と戻ることのできない時間の描写、が小説や映画では大好きなんです。 登場人物に感情移入せず、戦争や事件に比べると大したことない出来事、それでいて心に小さな引っかき傷のようなものを作る。それってすごいことだと思いませんか?(愛する人を失って、うわー!っていうドラスティックな展開でそれを生み出す方が簡単かもしれない) 乱暴な表現だけど、候孝賢監督は台湾の犬童一心監督だと思る。見た目も。 とっても優しい(だからこそときに残酷な)映像を撮られます。 そんなところもそっくり。 舞台は1960年代の九份。台北に出て働く十代の男女の物語。 蒸し暑く、青々とした緑のトンネルの中をうわっと突き進む列車の視点でストーリーは幕開けます。青くさいような草いきれが匂ってきそうな空気感。 何と言ってもヒロインが素敵。 辛樹芬(シン・シューフェン)さん。 昭和の日本女性のような哀愁と美しさ。 吉永小百合さんと、黒木瞳さんと、山口百恵さん

死ぬまでに一度、二郎さんのお寿司が食べたい
「二郎は寿司の夢を見る」(監督:デヴィッド・ゲルブ) ミシュラン史上最高齢の三ツ星受賞シェフの小野二郎さん(現在91歳)。 安倍首相がオバマ大統領をお連れしたことでも有名な、「すきやばし次郎」の寿司職人です。 とても面白かったのが、アメリカ人監督・ゲルブ氏の視点。 いかにゲルブ氏が二郎さんの技に惚れ込んで惚れ込んで、その一瞬に集中していたかが伝わってくる。 見慣れた銀座や築地の風景も、一度アウトサイダーの言語を通してみると、全く違う景色に見える。日本の再体験。これはいま日本人があらゆる局面で求めているものでもある。 9歳で奉公(修行)へ出て、父親ともそれっきり。 どんなに道を極めたとしても、まだその上がある、もっと上へ、その一心で80年以上やってきた。 デジタル化や効率化が急激に進む日本のなかで、それだけでは計りしれない価値を作り続けること。 近い将来、二郎さんと全く同じお寿司を作れるAIロボットが出てきても、私は息子の禎一さんが素手で焼いた焼き海苔で、二郎さんが握ってくれたお寿司を選ぶんじゃないかな。 「お前はいま、今日のこのときを本気で生きて


夢とBar O
この前の日曜の夕方、珍しく渋谷に用事があったのでなかなか来ない渋谷、ただで帰るわけにはいかない(?)という妙な気 合いで久しぶりにOさんのBarにいきたいなと思い気まぐれで友人Sちゃんに声をかけたところ、「日がな寝ていてちょうど外に出たいと思っていたところだ」との返事。 こういうのはやはり流れである。 どんなに予定していたとしても、 (実際にOさんのBarに、Sちゃんを連れて行こうと数年来思っていたのだけど) 流れが合わないときは合わないものである。 いくつか用事を済ませて、久々に若者の街(!)を徘徊していたところ、 田口ランディさんがエッセイで「渋谷は水の街」と表現していたのを思い出した。 生々しく、真っ暗な地下に黒い水が流れうごめく谷。水の活力に若者たちは群がる。 今日も、いまこの瞬間も、無数の若者たちがスクランブル交差点から吐き出され、 各々の方向に吸い込まれていく。その全体の動きがひとつの生き物みたいに。 Sちゃんと合流し、軽く食事してBar Oに向かう。 私は約1年ぶりぐらいかな。OさんのBarは本当に不思議な場所なのだ。 扉を開けると