

K-POPのインクルーシブ戦略〜後半〜
なんだか最近は梅雨日(?)と夏日が交互に来る感じですが、淡々と晴れの日は公園、雨の日は雨具で大人しく晴れに備える、という感じに虎視淡々と迫り来る夏に向けて備えています。 ついに、来てしまった・・後半! 今朝も号泣しながらスッキリで「虹プロ」を観ていたけれど、前半よりもかなりオタク度と暑苦しさが増して読者が離れる可能性が高いですが、ここしばらく考えていたことを書きたいと思う。 ・世界的プロデューサーJYPが仕掛ける現代のプロデュース論 huluとsony musicが手がける「虹プロジェクト」(通称「虹プロ」)、テレビなどで見かけた方も大変多いのではと思います。毎回放送されるごとにYouTubeでは各メンバーのまとめ動画などがひっきりなしにアップされ、それぞれが数十〜数百万回再生されるという異常な盛り上がりを見せており、いよいよ今週金曜に最終メンバーが発表される局面を迎えます。その詳細についてはもはやここでは書く必要はないと思いますが、何を隠そう私も「梨泰院」「不時着」ロスでボロボロになった心身の行き場を求めてスッキリで見始めたのがきっかけの完全な


K-POPのインクルーシブ戦略〜前半〜
先週から子どもの保育園が始まり、ようやく腰を据えて色々とできる時間が増えたはずなのに、なんだか忙しい。梅雨は色々と仕込みの時期でもあり、なんだか忙しなく日々を過ごしています。 そんな中、日々仕事を終えた後のここしばらくの楽しみが、いま「韓流」などというカテゴリの枠を超えて飛ぶ鳥を落とす勢いの韓国エンタメです。Netflixの「梨泰院クラス」「愛の不時着」から始まり、ポン・ジュノ監督のほぼ全ての作品を観て、現在huluで爆進中の「虹プロジェクト」を観つつ、先週金曜にはようやく!待ちに待った「パラサイト」が公開され・・そりゃ時間がないはずだといま書きながら思う(笑)Netflix勢は以前にも書いたので、今回は「パラサイト」と「虹プロジェクト(通称、虹プロ)」について前後半で書きたいと思う。 *タイトルのK-POPは本来であればK-エンタメとでも書きたいところだけれど、総じてわかりやすくK-POPにしています。 ・「パラサイト」が痛快にえぐる社会の"隙間" 社会を真っ直ぐな眼差しで見つめ、どこか面白おかしくでもいつも真正面からテーマに向き合うポン・ジュ


学び続けること
東京は梅雨入り。 たまに夏日もありながらもなんともしっとりと過ごしやすく、梅雨はなかなか好きな季節でもあります。そして梅雨前からメキメキと頭角を現し始める紫陽花たちには、4月下旬頃からひっそりと着目しては「きてるきてる」(?)と毎年わくわくしてもいる。笑 ここ数年は自分にとって「学び続ける」ということがキーワードになっていて、それにはいくつかの理由や背景があるのだけれど、今は亡きおじいちゃんのことが大きいように思う。子どもが大きくなって、「なんで勉強しなきゃいけないの?」と聞かれたらこのあたりのことを話せたら良いなと思う。 私の父方の祖父は(母方の祖父はいなかったので、私にとっては唯一のおじいちゃん)、その時代の多くの人がそうであったように、九州の田舎で百姓の長男としての人生を、個としての自分を犠牲にしながら生き抜いた人だった。生まれてすぐ戦争があり、幼い頃から家族と離れて育ち(祖父の父は戦争に行き、長男として地元に祖父とともに残り母や兄弟とほとんど生き別れて育った。そして祖父の父は戦死した)、私の祖母である妻には大変恵まれて、子どもにも恵まれて


都市と里山のはなし
まだまだ予断は許されないけれど、少しずつ戻ってくる日常の足音。 昨日から担当している学校の講義がオンラインで再開され、私もリハビリしながら日々を取り戻しつつある。なんだか以前までとは全く別の生活に見えるけれど、考えてみれば本当は1日として同じ日はないのだから当然といえば当然なのかもしれない。 今回の生活で内へ内へと思考をめぐらせているとき、よく「都市と里山」のことを考えていた。私はいま紛れもなく都市に住んでいるわけだけど、都市での生活をストップせざるを得ない状況の中、自分と向き合う時間(料理したり、散歩する時間など)をはじめとして、自然と向き合う時間が多かったように思う。私を物理的に構成する要素が紛れもなく自然の一部であるからということもあるだろうし、普段街で大人とばかり生活しているとなかなか忘れがちな身体感覚を、いま子どもと多くの時間を過ごして取り戻しつつあるせいもあるかもしれない。(よく「子どもは自然(の一部)」とも言われる) 普段から都市に住んでいる時には「都市型自然」でもある公園や限られた木々、緑にすがり付いて生活しているけれど、去年とあ


可視化とイメージの狭間で
昨日はとある県の職員さんとzoom会議にて新しいプロジェクトの打ち合わせ。 トピックスは「食」のあり方の再考から、「都市化」と「里山」の対比構造がもたらすもの、そしてこれからの時代における必要な視点などなど・・とっても深い議論をさせていただき、幸せな気持ちでカレーを仕込み(無限みじん切り、そしてそれの美味しいこと!)。とても充実した1日でした。 そして日々、頭の中を整理しています。 これまでの仕事を思い返すと、多様な言語やバックグラウンドを持つ方々と色々なプロジェクトに携わり「可視化」し「イメージ」を共有すること、その2つの狭間で、特に時間と手間を割いてきたように思う。 ・「可視化」することの大切さ 仕事を覚えたての20代の頃はとかく自分に足りない左脳や論理、「可視化」することであらゆる局面を乗り越えてきた気がする。これは海外で生活した影響もあると思うのだけど、同じ日本語を話すもの同士であったとしても、バックグラウンドやそれまでに蓄積してきた知見が全く異なるのは当然で、たとえば同じ「音楽」という言葉を一方は演歌と思うかもしれないし、もう一方にとっ