

音楽の持つ地域性とリファレンス
まだまだ年始気分で温かいこたつに入っていたい気分を置いてきぼりにして、あらゆる案件が年明けから盛り上がりを見せており、すでに息切れ気味です(笑)なので今日はちょっとライトな話をしたいと思う。 先日、高松出張中に街を歩いていると、隣県の徳島県出身ではあるけれどチャットモンチーの「青春の一番札所」という曲が自然と頭の中でエンドレスリピート状態だった。 「青春の一番札所」は徳島県出身のチャットモンチーが少し徳島の言葉を織り交ぜながら「すだち酒で乾杯!」「愛すべき眉山、鳴門の海、海、海」「ありがとうはいつも遅刻気味じゃけど」と故郷と過去の記憶を歌うとても素敵な歌なのだけど(2010年発売の「Awa Come」という超クールな阿波踊りビジュアルのアルバムに収録)、こういう、その土地で聞きたくなったり勝手に脳内エンドレスリピートされる音楽が私には結構ある。みなさんもありませんか? 不思議なのが、普段からこのアーティストはこの土地出身!と左脳的に意識しているわけではないのに、その土地に降り立ち、街並みや自然の空気を感じたときにふと思い出される、ということ。 以


関係性の再構築
しばらく立ち止まってみる。 これがなかなか難しいので、もう強制的かつ物理的にそうしてみると、普段いかに自分が狭い中で動き続けていたかが見えるもの。そういう意味でも年末年始の区切りは、単に人間の決めた概念的なものではあるけれど本当に重要だなぁと改めて感じます。ここ数年、死に物狂いでやってきたので、久々に少しペースダウンして一息つけた気がする。 昨年(というかここ数年)は、あらゆるハードルを飛び越えまくり、生活と環境を立て直しまくりながら、関係各所の方々に大変お世話になり、過去最高売上を記録した年でもあった。 ここ数年、俯瞰してみると本当にギリギリのところまで張り詰めてやってきた。 何かにつけて手を付け始めると中途半端にすることができなかったり、考え出すとキリのない自分の性分もあって、こと仕事やプライベート、仕事の領域も含めて、どこまでが自分の領域で、どこからがそうではないか?が、常に不明瞭ななか「そこまではさすがにやらなくていいんじゃないの」ってところまで色々、責任を持って巻き取ってやってきたように思う。そして普段、いかにいろんな感情や思いに蓋をし