

それは地続きに
ここ数日、嘘みたいな疫病や戦争の話ばかりで正直気が滅入り始めているところ、今朝は嘘みたいな晴れ間で、洗濯物を干しながら、着実に春が近づいているのを感じた。 歴史上の出来事は、私たちの暮らしの中においてはここから始まりここで終わり、のような明確な線引きはほぼないことをここ数日の出来事を見て考えていた。映画「この世界の片隅で」でも痛感したけれど、それは地続きにやってきて、気づいたらいつまにかそうなっている。政治家の大義名分としてではなく、歴史から、未来の私たちから「あの地点がこの一連の出来事の始まりだ」と振り返ってから理解できるわけで、その最中の日常を生きている人たちにとっては、それがどこから始まってどこで終わるのかなんて明確なラインはない、そんなことを考えていた日に、まるで"平和の祭典"の終わりを待っていたかのように、その明確らしいニュースは飛び込んできた。何のための祭典なんだよと言いたくなることばかりで、みんな賢い人たちは冷静に「大義名分」と「その実」を見分けられるのかもしれないけれど、私は全くそうではないし、誰かわかるように教えてほしいと思う。


現代ものがたり論
最近、登園自粛の息子と一緒に初期ディズニーを中心に見直している。 私は小さい頃、特にプリンセスに憧れる子どもではなかったので(どちらかというと車が好きだったよう笑)、ディズニーでよく観て記憶に残ったものといえば「不思議の国のアリス」あたりだった。 ただ大人になってから見ると、コンテンツとして本当によくできていると思わせられる。特に初期プリンセス作品群の多くが原作はグリム童話だったりするものの、その時代に合わせた教訓に溢れていたり、その時々の社会や生き方が反映されていたり。 あくまでも子ども向けがメインの作品なので、大人になってから驚くのは、キャラクター同士(男女)の情事が実は作品のほんの一瞬だけであることで、あとはかわいい周辺キャラクターたちのミュージカル調のシーンなどが作品の尺の大多数を占めている。そして子どもたちは(年齢にもよるけど)完全にそちらに釘付けになっている。 ・シンデレラの靴はなぜ消えなかったのか(魔女の陰謀論) すごい見出しにしてしまった笑、家族で見ていて夫と物議を醸したのがこのあたり。事前に魔女から何度も警告されたにも関わらず、