

ママチャリ・テロリスト
10月の営業日も今日で終わり。そんな日にふさわしいような晴れ渡った秋晴れの金曜日。 そして少しだけ以前の生活に戻れるような幸せも噛み締めています。 久々に人に会えたり、来週には心待ちにしていた20年来の友人の結婚式もあり、楽しみ。 今週も今週で、いろんなことがありましたね。 基本的人権、表現の自由、政治と自分の生活のつながりなど、いろいろなことを考えました。 生活では夫が珍しく出張なので(2年ぶりぐらい?)息子と二人+猫でひっそり暮らしています。 そういえば昨日お迎えに行く時、「ママチャリ・テロリスト」について考えた。 例えば私が今テロリストだったとしても誰も気づかないんだろうなーと(危険w) でもそれぐらい、私たちはぱっと見の印象や情報から多くのことを判断して生活している。 例えば「おばあちゃんコスプレイヤー」とか、「小学生データサイエンティスト」とか。一見、異質に見える属性やもの同士の掛け合わせにはめっぽう弱いというか、想像できない性質を持つ。 それは日々社会生活を営む上では必要な一方で、いかに自分たちがそういったステレオタイプともいえる 思


記憶のかけらたち
いつまでも切れ目がない忙しさに疲労困憊気味の電車の中でも、さっき目を閉じたとき、留学時代初期に仲が良かったフランス人の子のことを思い出した。 留学初期、各国から交換留学で来ている学生同士の主な話題は住む場所と専攻の話など。彼女はネット開通の話でconfigurationという単語を使って、私はその時初めてその意味を知った。彼女はその後黒人の彼と早く結婚して、とても可愛い子どもたちを産んだ。仲が良かったスウェーデン人の女の子はなぜか私に色々とよくしてくれて、よく彼女の家でMovie nightとして映画を一緒に観たり、当時日本ではまだユーザーがほぼいなかったFacebookに招待してくれたのも彼女だった。その後一度だけスウェーデンで再会した。そのほか、一時期よくしてくれていたモントリオール出身の男の子やたわいもない会話、言葉の切れ端。あの時あの子はこんなことを言った、あんな服を着ていた。等々、、 そんなふうに、私の記憶は有益かどうかもわからない記憶で埋め尽くされていて、その分の余白が少しでもあれば最近仕事で出会った人たちの名前もすぐに覚えられるはず


金木犀
今週は久々に飛行機に乗って出張。 朝6時の電車に乗って、朝日の中で金木犀の香りをいっぱい吸い込みながら出かけました。(今回は鹿児島と熊本へ) なんだか夏からここのところずっと忙しくて、24時間全てを使えるわけではないし毎日やれどもやれども消化不良気味で達成感が得られにくかった。(ずっとひとりで壁打ちしているようなイメージ)10月に入って、少しずつそんな状況が改善しているような思い。 先日お話した賢者が「アイデンティティの再構築」ということを言われて私は目が覚めた思いがした。 アイデンティティってどこか自分では変えられない、先天的なものだと思い込んでいた。自分から前向きに働きかけて、自分で構築していくというよりは生まれながらに持っているモノとどう折り合いをつけて、生きていくか。そんなイメージだったのです。もちろんアイデンティティにはそんな側面もあるけれど、それだけではなく自分が生きるその時々の状況や必要性に応じて変えていけるものなんだと。私にはそれだけで、すごく生きる希望みたいなものを感じた。(そもそも人間は生きているだけで数年レベルで細胞は全て生


小さな庭
9月末、納品関連が立て続き、文字通りヒイヒイ言いながら過ごしてました。 (数えたら制作納品2本、イベント企画運営&報告書2本ずつ、執筆案件2本、新規プロジェクト3本その他諸々・・そりゃ忙しいわ) 新しい家には、猫の額ほどの小さな庭があるのだけれど、そこで息子とともになんでもない時間を過ごしたり(大人に1日の終わりのビールが必要なように、保育園児にも帰宅しな美味しい飲み物とともに一服する時間が必要なよう)、とても素敵なお隣さんとフェンス越しにいろいろ話したり、目まぐるしい日々を生き抜くために大切な時間になっている。 最近色々と超論理的な仕事が多く、ありがたいけれどいつもの私の悪いクセで、突き詰めていくとどこかで一旦ゼロにしたいような気持ちに駆られています。(笑) 私の場合は、論理的作業が増えるとアートに回帰したくなる。 そういうことで、数年ごとに回帰している、カナダ・モントリオールのシンガーソングライター、Patrick Watsonを最近また聴いています。「The Great Escape」、もうこのタイトルだけで偉大さが伝わるでしょう?笑 夜な