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  • chiharuf

無意識の向こう側

去年の2月から毎週1記事ずつ書いてきたこの乱文紀行も、あっという間に1年!

今週も素晴らしいお仕事や機会をいただき、書きたいこともたくさんあるのだけれど、昨今どうしても看過できないことがありこれについて書くことにします。


このたった数日で、世界に自国の文化を発信し、平和と友好を深めるイベントであるはずの五輪組織会長が"女性蔑視発言"を行い(その後任手続きも全くそのコンセプトを理解されていないようである)、某有名企業の会長が強制わいせつ致傷(現金なども盗み)で逮捕される。


これは"いじめ"と同じだと思うんだけど、"女性蔑視"などという曖昧な表現を使って問題の所在を曖昧にしていますが、これはグローバルに見ても明確な「女性差別」ですよね。日本のジャーナリズムはなぜそれを報道しない?(ちなみに私はもちろん彼の全文を見ていますし、その上でこの件に関してマスコミの"作為的な切り取り"はないと考えています)


先週から今週にかけてこの報道を立て続けに見て、この国の女性への意識が現れているようでめちゃくちゃ怒ってます。


某組織会長の発言に関して思うのは、私も同じような扱いを受けることが多々あるということ。

日々、女性がひとりだけの会議がほとんどだし、その中で男性であれば通常されないようなこと、発言を途中で遮られたり、あからさまに「女には意見されたくない」という態度をされたり、ひどい時は机をドンと叩かれたり。そして不思議と同年代の男性はこういうことはやらないんですよね。単純に老化現象のひとつなのか、世代の問題なのかわかりませんが、同世代の男性が後年やりだすようなイメージは今のところ到底持てないです。だから全部が理由なんだろうね。(もちろん年上の方でも良識的な方は全くそんなことないし、尊敬できる方はたくさんいることは言うまでもないことですが付け加えますね)実はここ数年、そういう場をどう忖度せずに毅然と対応するのがベストなのか、答えが出ていないことでもあります。


こう言うと、”フェミニスト”と言われることにもすごく違和感があります。同じように生きようとするだけで、フェミニストとは?


そんな怒りが半分、あとは具体的にどうしたら良いのかなという気持ちが半分というのが正直なところ。

台湾の著名なIT大臣、オードリー・タン氏(この方について説明はもはや不要ですね)のような優秀な人材が、活躍できるような社会に日本がなれるにはあと何年かかるんだろう?ということを最近常に考えている。日本にも若くて優秀な人材は男女かかわらずたくさんいて、きちんと活躍できる社会になれるかどうかをまさに今回の一件は突きつけられていて、それは日本という国の豊かさや競争力にも直結していて・・今のところ悲観するしかない状況だと思っている。が、このコロナ禍で働き方は大きく変わり、オンライン上では従来の上下関係ではなく発言者にしかるべき権利が再配分されているようだし、思っているよりも早いスピードで私たちは変われるのかもしれない。


いまの私の働き方や仕事のあり方にも多様な企業や団体の方々から老若男女問わず(でも男性の方が多いかな)興味を持ってもらったり、お声がけをもらったりしていることも、この背景と無関係ではないし、今の社会においてはいろいろなことを規定せず、柔軟性があって境界線のない「女性的」だからなんだと思う。


最近めぐりあえた素晴らしい本で「男らしさの終焉」というまぁすごいタイトルの本があります。笑

改めて強調したいのは、「男」の終焉ではないということ。そして私は何も物理的な性差や男女を否定したいわけではないことを念頭に、ぜひ以下を読んで欲しい。


イギリスの著名アーティストでもあるグレイソン・ペリー氏が、彼自身がいわゆる白人社会のデフォルトスペック(通称"デフォルトマン")の生まれで、LGBTQではないけれど、女装を趣味とすることで従来の"デフォルトマン"からは距離感を持ってこの社会の枠組みを作ってきた"男性"的役割にメスを入れるというもので、男性に向けて「らしさ」から解き放たれ自由に生きようと呼びかける内容でもあり、めちゃくちゃ面白かった。ここ数年で一番、目から鱗が落ちた一冊でした。


自分がこれまで経験したことのない「無意識」の向こう側って、すごく見ることが難しい。

だからこそ人間には共に生きるためのイマジネーションが必要なのだ(もちろん、それを知る機会も)とグレイソン氏は語っていると私は理解しました。



私も全く完璧ではないし、いま私に見えていないこともたくさんあると思う。

だからいま、めちゃくちゃ怒ってるけど、頭の半分ではどうしたら分かり合えるのかなと思っている。分かり合えないかもしれないけど、でも分かりあおうとすることだけはできるはず。そんな背景を、敬愛するロバート・キャンベルさんは「共感はしなくて良いから理解してほしい」と表現しました。本当にその通りですね。共感による価値基準は時に狂気にもなりうる。


もうそろそろいいかげん、いろいろ変えていかないとね。

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