プロフェッショナルの解像度

九州全域の豪雨被害で、被害が拡大・長期化しており、被害に遭われた方の一日でも早い回復を心よりお祈り申し上げます。父の住む鹿児島(大隅半島)も近隣はまだ大丈夫なようですが、九州に住まれている方々は引き続き最大限ご用心ください。

新潟から届いた夏野菜。いつもありがとう。

今日はここ数日考えていた"プロフェッショナル"ということについて書いてみたいと思う。

最近、あらゆる領域のプロの方々とご一緒する機会が多く恵まれているなと思うのですが、皆さんに共通しているのはその知見や経験から来る物事に対する「解像度」だと思う。

・プロならではの解像度

先日、「食」のプロの方と一緒に食事をする機会があって、私はいわゆる美食やガストロノミーと呼ばれるものについては全くのド素人に近いので、ただ「美味しい」もしくは「あまり美味しくない」(大抵は美味しい笑)ということしかわからないのだけど、その方は食べながら何やらしきりにメモ。そして食べるスピードがものすごく早く、一言も喋らない。その間、プロならではの情報量が詰まったたくさんの引き出しの中から、素材を吟味し検証、また引き出しにしまったりなどといった思考的な作業が行われていることが傍目でもわかった。そして食後、「粉物(パン)やオイル、塩へのアプローチに迷いが見える」「付け合わせの野菜をここまで細かく刻む意味」などなど、全く同じものを食していても、視点が全く違って、とっても面白かったのです・・・!(そして私は、ただウマイウマイと食べていただけなのにと笑)

または、最近ご一緒させていただいている編集者やクリエイティブ・ディレクターなどなど、その道を極められた方々のその視点や解釈が、上記と同じ理由で本当に面白い。やはりプロフェッショナルとは、そこに至るまでの失敗や成功も含めて、様々な経験や知見の蓄積があるからこそ、同じ物事に対しても全く違う視点や切り口、さらには解像度で迫れるのだと思う。

・センスは知見の蓄積

これもまた書きたいと思っていたテーマなのだけど、近しい理由で「センス」と呼ばれるものに対しても同じことが言える。「センス」って、なんだか先天的なもので努力しても身につかない、選ばれしものだけの特権みたいな表現がされる機会が多くないですか。(「クリエイティブ」に関してもそうかもしれない)けれど、ファッションでも、ビジネスでも、人間関係でも、先天的なセンスの影響って(ごく一部の特殊な業界や職種を別として)ほとんどないと個人的には思っていて、大抵が後天的な環境や本人の情熱、努力が与えるものの方が大きいと思うんです。どんなに優れた素質を持っていても、それを一生懸命磨く情熱と努力がなければ日の目を見ないしね。よくファッションセンスの良い人が、昔はギャル(男)やB系だったということありませんか?ギャル(男)やB系がおしゃれではないといっているわけではなくて、それぐらい幅の広い経験が蓄積されて、センスが磨かれているということなんだと思います。優れたシンガーソングライターも、ひとつのカテゴリだけに止まらず曲を書いていますよね。だから、「あの人ってセンス良いよね〜」で終わらせるのは非常にもったいない。なぜセンスが良いのか?そこにヒントが詰まりまくっています。

・スペシャリスト vs ジェネラリスト

プロの解像度を考えた時に、自分の解像度はどこにあるんだろうということがある種自分のプロ性を見極めるポイントにもなるかもしれない。私はもともと美大にいきたいと考えていた時期があり、特に20代はなんだか自分がなんらかの(例えばダンスとかデザインとか、建築とか)「スペシャリスト」ではなく「ジェネラリスト」であることが悪のような気がして、どこか居心地が悪かった。それが若いということでもあるのかもしれないけど、近年特に「ジェネラリスト」であることの価値(例えば全く異なる要素を組み合わせて新しい価値をうみだすことや、全く未知のテーマへのアプローチとか)が求められている機会が多く、プロであることを突き詰めたジェネラリストであれば良いのかなと思い始めている。

ちなみに私の場合の解像度は、やはり企画づくり。上述の「食」の方のプロの仕事を見ていた時に、ハッとしたのがテーマは違えど、私が普段企画づくりでやっているアプローチとなんら変わらないということ。企画&企画書づくりの細かさ・厳しさは、フォント&カラーの意味から構成の考え方、伝え方、言葉尻に至るまで結構自分でも嫌になるときがあるし、多分一緒にやっている人も多々嫌になっていると思う。笑 でも神は細部に宿る、ではないけれど、その蓄積、実直な積み重ねしか、プロへの道もないかなとも思うのです。

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