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  • chiharuf

鳥のブローチ

なんだか変な気候が続いていて、ようやく咲いた桜もあっという間に散ってしまう、そんな春の嵐の火曜日。

皆さま体調いかがでしょうか。私は漢方を大量摂取しています。



・本当に怖いSF

「三体」を観了。これまでのSFと一線を画すのは、それが国境や人種を超えた人類の叙事詩であることと、これまで決して自分たちの安全圏を侵食することのなかったSF(いつも舞台は未来であったり宇宙であったり、どこか自分たちは安全地帯から安心して観ていられた)が、ついに堂々と私たちの世界や生活を侵食していく全く新しい感覚で、それが超怖かった。知れば知るほど、そして観れば観るほど、私たちがいま生きている世界の座標軸がわからなくなる。時系列とか、進化とか成長とか、人間性とか。私たちが便宜的に生活を営むために必要とする、そういった価値基準の定義が崩れていく感覚。というかそもそもそんなもの、あったのだろうか?これは全く新感覚のSFと感じた。(そもそもScience Fictionと呼べるのか)

そして問われるのはまさに「人間性(ヒューマニティ)」。私たちは、これまでの歴史も含めて、そしてこれからも、人間が人間たるために必要な「人間性」を得てこられていた(いく)のだろうか。あなたや私は、何をもって人間と呼べるのだろうか。それは人間以外の"他者"が現れて初めて定義されるものだけれど、いまもう現実に私たちは定義を急がされている。それらの新しい感覚と問いを可能にするのは、その構成と映像表現。超面白かったけど、超怖かったです。原作も読もうか悩み中。


・鳥のブローチ

小さい頃、鹿児島にしばらく帰れなくなる最後の滞在。デパート(知る人ぞ知る山形屋)で、鳥のブローチを作った。2羽のインコが寄り添っている絵柄で、自分で好きな色のビーズを埋めてその場で焼いてもらい、ステンドグラスのようになるもの。(昔よくあった気がするけど、最近見ないね)

1羽は当時自分が飼っていたインコの色合いにし、もう1羽は滞在していた祖母家の階下に住んでいた仲良しのおばあちゃんが飼っているインコの色合いに。前後の記憶が曖昧だけど、帰省の際にそのおばあちゃんの家に遊びに行かせてもらい、ひとりで暮らしているそのおばあちゃんがいたく喜んでくれたのと、そしてご本人が自分はもう長くないと話していたのを幼子心に覚えていたのかもしれない。

とってもきれいに焼き上げてもらって、あのおばあちゃんに見せよう!(もしかしたらあげようとしていたのかも)、と意気込んで帰ったがおばあちゃんはもう亡くなられていて、会えることはなかった。いま思い返すとそれが人生で初めての死というものの手応えだったかもしれない。その嬉しい悲しい気持ちや記憶が、きれいな鳥のブローチに刻み込まれてしまって、長いこと大切にしていたが家族のゴタゴタでどこかへ行ってしまった。同じくその滞在で無くしてしまった、大事にしていたグレイのペンギンの小さなぬいぐるみのこともたまに思い出す。春はいろんなことを思い出す。


・百姓のDNA

毎年なぜかこの季節になると息子が「お米を植えたい」というので、私はどきりとする。どうしてこの子は家の近くに田んぼもないのに(しょっちゅう田舎には連れ出しているけど)、お米も育てたこともないのに、ちゃんと田植えの季節がわかっていて、お米を植えたいと思えるんだろう。(余談だけれどこの季節の出張で私が一番楽しみにしているのは各地の多様な田植え風景を見られること)

たまたまかもしれないけれど、縄文時代から連綿とDNAに組み込まれているであろう稲作文化の影響とたくましさに惚れ惚れとして、今年こそはお米を植えないとと色々調べたところ、JAが素晴らしい取り組みをされている。我が家はこれでバケツ稲づくりセットを5セットお願いしました。ぜひみなさんも、いかがですか?学校や保育園でやっても楽しそう。(バケツ稲づくりセットの配布

だいぶうろ覚え&意訳だけれど、高層マンションに住んでいる子は普段見聞きしていても、どんなふうにお米が育つのかのイメージがわからなくなってしまうと聞いたことがある。自然や農とのつながりを感じ続けられることは、確実に豊かな人生につながっていく。サボテンさえ枯らすことで有名な自分ですが、今年は小さな田植えも頑張りたいと思います。

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