日々の挑戦
日に日に世界での状況が報道されており、日本も例外なく、状況は日々変化していますね。
日々様々な視点から情報を収集し、検証し、自分にできることを模索しながら生活するのはなかなかハードでもあります。そして通常の生活の3倍増しぐらいにやることも増えている。
そんな雨の月曜日、新しい週のはじまりです。

今回のウイルス、現代を生きる人類への挑戦と新しい枠組みの再構築という意味では、誤解を恐れずにいうと"非常によくできている"と思わざるを得ないと思っています。特に、以下の3点において。
1、目に見えない「無意識」への挑戦
2、大切な人との物理的かつ精神的な距離感への挑戦
3、これまで謳われてきた「持続的(サステナブル)」への挑戦
まず1つ目にして最大の課題でもあるのが、
・目に見えない「無意識」への挑戦
このウイルスに関してはまだわからないことが多いですが、ただでさえ目に見えないウイルスが「無症状の保菌者が拡散を広めている」可能性が色濃くなり、「自分が保菌者や感染者かもしれない」という前提を持って動くことが広範囲に要求されるというかなりしんどい「無意識」レベルへの挑戦でもある。「この行動も」「あの接触も」と全てを疑ってかからなければならず、これまでの歴史で工業化、経済成長など多くの場合が「目に見えるもの」を中心に成長してきた社会や個人にとっては新しいタイプの挑戦と言えるし、これまで構築してきたコミュニティや人間関係のあり方さえも変えてしまう恐ろしい課題だと思っています。だからこそ、これまで「意識」に上がってこなかった「無意識」に部分を深く掘り下げながら、新しいカタチを構築できるか?が、試されているとも。
いつもながら唐突だけど、私は大人になってからも「自分が寝ている間、もしくは目を瞑っている間、実は世界なんて動いていないか、そもそも存在しないんじゃないか」と思うことがあります。(笑)極端かもしれないけど、自分が今のところ現実であり真実だと思って暮らしている世界から目が覚めたら、全く違う世界である可能性を否定する術もなく、だから目が覚めてFacebookやTwitterで自分が眠っている間も世界が変わらずに動いていたことを確認すると安堵したりします。自分がいま「現実」だと思って目の前に見ていることって自分の感覚でしかないし、証明のしようがないから。何だかそんなぼんやりした感覚を、脳科学の側面から論理的に説明してくださっているのが医学博士、解剖学者の養老孟司さんでした。(いま時間があるので「バカの壁」以降、猛烈に読み返し中!)

「人は、「頭で考えたとおりにすればうまくいくはず」と思っているけれど、そんなものじゃない。私はこれまでいろんなところで言ったり書いたりしていますが、人間って<意識>で動いているように思うけれど、それは間違いなんですよ。一日の三分の一は眠っていて、その間は意識なんてないんですから。まずその時点で「<意識>には限界がある」と考えるべきでしょう。(中略)医者が手術のときに麻酔をかけるのも同じ。麻酔薬って、化学式で書くと「N2O」(=亜酸化窒素)で、すごく簡単なんだけど、それでどうして意識がなくなるのかはよくわかっていない。」
(「神は詳細に宿る」養老孟司、2019, P115)
私が養老さんを敬愛してやまないのは、人間の脳や体といった物理的な側面からアプローチしながらも、最終的にはそれ(人間や意識)には限界があることも発信されているからだと改めて思う。養老さんが虫の世界に傾倒されているのも頷けます。
*余談だけど、養老さんが本書のあとがきで紹介されているウンカ(昆虫)の足から「歯車」の機能が見つかったという海外の動画。同じく人間の脳が開発した歯車(機械)と同じ。これをただの偶然と思うか、そこに何かを感じるか?
*さらに余談だけど、昨年夏に大盛況となった「虫展」も素晴らしかった。
この言葉はいつも大切にしている指針でもある。

そういえば、もう2年前にもなりますが、全米そして日本を含む世界でも流行した「Bird Box」(Netflix)は、このあたりの「目に見えない闘いの恐ろしさ」を、かなりリアルに描いていると思いました。欧米といえば、独自の宗教観や土葬の習慣からくる「ゾンビ」(中国におけるキョンシーも同じですね)が長い歴史を持つ恐怖やパニックの代表的な権化だと思っていたのだけど、それが「目に見えない形」に移行したのはすごく衝撃だった。
そのような「目に見えない敵」との闘いに対して、私たちはどのような「目に見えない連携」「社会の再構築」が試されているのか?そんな部分を日々模索したいと思います。
思いの外1点めで尺を取ってしまったので、残り2点に関しては、また追って書きます。