醸造される音楽
先日、Norah Jonesの来日公演に行きました。
彼女の音楽を17歳のときに聞き始めてからちょうど15年目で、始まりのような終わりのような、なんだかとても不思議な気持ちで武道館に向かいました。
彼女はとても幅広いファンの多いミュージシャンだし、公演に行かれた方もとても多いと思うので、あくまでも個人的な本ブログにおいても最も個人的なメモリーとして、音楽について思ったことを記しておきたいと思います。
彼女の音楽に対する姿勢と音楽性がもたらすものだと思うのだけど、音楽の記憶は風化するのではなく、ワインのように蓄積され醸造されるのだなと改めて思いました。そしてそれを聴いていた当時の年齢によって、醸造のされ方も変わってくるのだと。
17歳のとき、始めて彼女のCDを買ってMDプレイヤーに落とし通学の満員電車で聴いていた。当時は心身ともに色々と大変な時期で、眠る時にもかけていた。そのおかげで思い出と音楽が一体になって私の記憶と体に染み込んでしまった。(2002年、Come Away With Me)
19歳のとき、大学受験に失敗し初めて人生のレールから(そんなもの本当はなかったんだけど)外れてしまったと感じたときに、これからどうするか考えながら聴いていた。また、もう一度挑戦しようと決意したときにも。(2004年、Feels Like Home)
22歳のとき、モントリオール留学から戻ってきて、これから人生どうしようか考えていた。(2007年、Not Too Late)
24歳のとき、初めての仕事、初めての激務に、もがいていたとき日々嫌というほど聴いていた。(2009年、The Fall)
31歳のとき、独立して新しい働き方を模索しながら聴いていた。また結婚もした。(2016年、Day Breaks)
こうして書いてみると、嘘みたいに、ただ着実に日々は流れている。
彼女が自分のために作った音楽が、見知らぬ土地の見知らぬ人間の体に、記憶に、生活に、じっくりと染み込んでいることは、ただ単に驚きでしかないと、17歳の自分と再び出会ったようなふわふわした感覚で彼女の歌と、ピアノと、ギターの音を聴いていました。
ジャズという音楽の源、アメリカ大陸と、そこで生きる人々、祖国への思いと。夕日。
実はライブでは演奏されなかったけど、私が一番好きなのは「My Dear Country」という曲。
祖国とはなんだろう?自分のアイデンティとは??
この曲こそが、いま必要とされているのかもしれないと同時に、いま歌うことは、曲自体が何か別の意味合いを持ってしまうのかもしれない。
40歳、60歳、85歳と・・・
その時に彼女がどんな歌を歌い、私は何を思うんだろうか。
そんなことを感じさせられた時間でした。