旅は何歳になっても
1970年代+ロードムービー+おじいちゃん&猫、というなんとも不思議で、ありそうでなかったお話。1974年のアカデミー賞受賞作品。(後から知ったのだけど、かの淀川長治さんが「最も好きなアメリカ映画のひとつ」とおっしゃっていたそう)
舞台は戦後30年が経つ、移民大国アメリカ。
主人公・ハリーが妻に先立たれ、ニューヨークの長年暮らしたアパートを追い出されるところからストーリーは始まる。監督のポール・マザースキー氏もウクライナからの移民ということで、劇中には「資本主義が・・」「母国では・・」などの会話が飛び交う。ハリーの「ニューヨークはもう私の街ではない」という言葉を始めとして、戦争・大恐慌など激動の時代を経験した世代がそろそろ引退するタイミングで、次の世代は内陸部のコミューンを目指し、ヒッピー文化が形成されていく。そんな移りゆくときを、悲観するでもなく、振り返るでもなく、ただそれはそれとして自分の生を全うする、ハリーおじいさんの視点から見られたのが一番面白かった。
とても気になったのはエンディングで、アメリカ各地に住む自身の子どもたちに会いに行きながらも、適度な距離感を取り、決して馴れ合うことなく西海岸へたどり着く。そこで完全に一人となったハリーは、夕暮れ時の黄金の浜辺でトントに似た猫を見つけ、天使のような女の子に出会う。この描写は、この世のものではないというぐらいに綺麗で、これまで徹底的に(ロードームービーには不釣り合いなぐらい)紳士な格好を貫いていたハリーはこの時だけ、これまた不釣り合いなぐらい真っ赤な服をきている。赤は生命力、エネルギーを放出する色。私はこのエンディング、もはやハリーは生きておらず、本当に一人になって初めて名実ともに自分自身になれた(戻れた)と解釈したんだけど、どうだろう。
しかし今でこそ、高齢化社会のなかでお年寄りが人生をどう全うするか(終活)、というテーマは馴染みがあるものの、当時、しかもこれから若者文化が多いに形成されようという70年代のアメリカにおいては、どのような受け止められ方をしたのだろう??
そしてそれは時を経て、もしかしたら今の日本にこそ必要な視点を投げかけているのかも。