懐かしい夏、草いきれ
台湾の巨匠、候孝賢(ホウ・シャオシェン)の「恋恋風塵」(1987)。
時に冷酷なまでの対象との距離感と、そこで展開されるほんのささいな、でも二度と戻ることのできない時間の描写、が小説や映画では大好きなんです。
登場人物に感情移入せず、戦争や事件に比べると大したことない出来事、それでいて心に小さな引っかき傷のようなものを作る。それってすごいことだと思いませんか?(愛する人を失って、うわー!っていうドラスティックな展開でそれを生み出す方が簡単かもしれない)
乱暴な表現だけど、候孝賢監督は台湾の犬童一心監督だと思る。見た目も。
とっても優しい(だからこそときに残酷な)映像を撮られます。
そんなところもそっくり。
舞台は1960年代の九份。台北に出て働く十代の男女の物語。
蒸し暑く、青々とした緑のトンネルの中をうわっと突き進む列車の視点でストーリーは幕開けます。青くさいような草いきれが匂ってきそうな空気感。
何と言ってもヒロインが素敵。
辛樹芬(シン・シューフェン)さん。
昭和の日本女性のような哀愁と美しさ。
吉永小百合さんと、黒木瞳さんと、山口百恵さんと、篠原涼子さんや石原さとみさんを彷彿とさせます。(つまり美少女)
彼女が目線を落とすだけで、物憂げな刹那がそこに流れる。
選択肢の数少なく生きる道の限られた中での一瞬の交差点で、
少しずつすれ違ってしまうことの不可避、現代には描けなくなってしまった物語。
少年と少女が、村を出て街で働き、活版印刷所で、縫製店で新しい人と出会い、お金はなくても仲間と簡素な食事をして、たまにはビールを飲み、屋外映画を観て・・・
私はこの映画の景色を観ていて、なぜか今はなき鹿児島の祖父母を思い出しました。昔ながらの百姓だった、私の祖父母。電気も通らない村の中で、家の外と中の区別もないコミュニティでの暮らし。
子どもたちは外で遊び、大人たちは家を行き来して暮らす。
くだらないことも、悲しいことも、全部ひっくるめてそこにある感じ。
その暮らしから、村を街をつくり、上京して働きお金を稼いで、コミュニティは失われてしまったけど、いまの私の選択と暮らしは先祖と祖父母と、父と母のおかげで成り立っているのだと劇中を通して妙に納得しました。夏はいつも現在と過去が交差する季節、な気がする。