夢とBar O
この前の日曜の夕方、珍しく渋谷に用事があったのでなかなか来ない渋谷、ただで帰るわけにはいかない(?)という妙な気 合いで久しぶりにOさんのBarにいきたいなと思い気まぐれで友人Sちゃんに声をかけたところ、「日がな寝ていてちょうど外に出たいと思っていたところだ」との返事。
こういうのはやはり流れである。

どんなに予定していたとしても、
(実際にOさんのBarに、Sちゃんを連れて行こうと数年来思っていたのだけど)
流れが合わないときは合わないものである。
いくつか用事を済ませて、久々に若者の街(!)を徘徊していたところ、
田口ランディさんがエッセイで「渋谷は水の街」と表現していたのを思い出した。
生々しく、真っ暗な地下に黒い水が流れうごめく谷。水の活力に若者たちは群がる。
今日も、いまこの瞬間も、無数の若者たちがスクランブル交差点から吐き出され、
各々の方向に吸い込まれていく。その全体の動きがひとつの生き物みたいに。
Sちゃんと合流し、軽く食事してBar Oに向かう。
私は約1年ぶりぐらいかな。OさんのBarは本当に不思議な場所なのだ。
扉を開けると(扉がまたとってもステキ)、時間と場所の感覚がわからなくなる。
それはひとえにOさんのずば抜けたセンス(少なくとも日本ではない空気)と、
屋根裏部屋みたいな場所自体が持つ空気もあるのかも。
とにかくあっという間に時間の感覚なく3時間は過ぎてしまうのだから恐ろしい。
またOさんという方が、その経験と知識からくる奥深さに、いつも引き込まれ話し込んでしまう。
見た目はスレンダーでとても綺麗で気さくな女性なのだけど、Oさんは良い意味で、老若男女な存在で話しているといろいろなところからぽろぽろと話が繋がって、最低3時間は話し込んで帰ると
いつもぐっすり眠ってしまう。
そういえば私はその日、昔育った家で父が飛び降り自殺をする(!)という衝撃的な夢を見た。
飛び降りた父をベランダの上から見つけてしまうという生々しくて怖い夢。
もちろん現実の父は元気なのだけど、実はその家、ことあるごとに夢に出てくる。
いつもは普通の食卓。寝たり生活しているシーン。幸せな風景として。
その夢を見てこの日は少しモヤモヤしていたのだった。
一方のSちゃんもいま人生の岐路に面していて、人生を見つめ直すために世界一周旅行に行きたいと言っていたのだけど、そんな二人を見透かしたようにOさんは世界のとても綺麗な場所の写真集や星座占いの本を見せてくれて、3人で女子中学生みたいに「ここ行きたい〜」「今年の運勢すごい!」などとカウンターを占拠しだらだら話していたのはとても楽しくてなんだか懐かしい感覚だった。
そんな話をしていて、ふと思った。
夢で見たあの家は、もう二度と夢に出て来ないのかも。
その家は私が中学生のとき訳あって住めなくなってしまった家だったのだけど、
夢の中で、もう二度とそこに戻りたくなくなるような決定的な出来事が起きた。
なんだか私はもうこの家が、戻って来るなと言っているように感じた。決別。
そしてそれはいま色々と考えていることの、新しい出発のような気もした。
Bar Oは時間と空間を超えていく、「トランス」という表現が近いのかも。
空間も時間も性別も超えて、トランススペース・トランスタイム・トランスジェンダー。
その交差点はいつも存在しているけど、二度と同じ時はなくて、出会ってはまた去っていく、
一度限りの場所。
そんな小旅行が必要なとき、いつもBar Oに行ってはユニバーサルな存在に癒され、
家に着くなり今回もぐっすりと眠ってしまうのでした。