音楽の持つ地域性とリファレンス

まだまだ年始気分で温かいこたつに入っていたい気分を置いてきぼりにして、あらゆる案件が年明けから盛り上がりを見せており、すでに息切れ気味です(笑)なので今日はちょっとライトな話をしたいと思う。


先日、高松出張中に街を歩いていると、隣県の徳島県出身ではあるけれどチャットモンチーの「青春の一番札所」という曲が自然と頭の中でエンドレスリピート状態だった。


「青春の一番札所」は徳島県出身のチャットモンチーが少し徳島の言葉を織り交ぜながら「すだち酒で乾杯!」「愛すべき眉山、鳴門の海、海、海」「ありがとうはいつも遅刻気味じゃけど」と故郷と過去の記憶を歌うとても素敵な歌なのだけど(2010年発売の「Awa Come」という超クールな阿波踊りビジュアルのアルバムに収録)、こういう、その土地で聞きたくなったり勝手に脳内エンドレスリピートされる音楽が私には結構ある。みなさんもありませんか?

不思議なのが、普段からこのアーティストはこの土地出身!と左脳的に意識しているわけではないのに、その土地に降り立ち、街並みや自然の空気を感じたときにふと思い出される、ということ。


以前、京都出張の時にも大好きなくるりの「京都の大学生」という曲が自分の意思とは裏腹に脳内エンドレスリピートで困ったことがあった。(こちらは「青春の一番札所」とは違ってしっとりねっとりと切ないナンバー)もちろんくるりが京都出身ということは左脳では理解していたのだけれど、それとは別に右脳もどこかでそれを理解していて、勝手に出してくるようなところがある。

ちなみに高松市内のコンビニでKeaneの「A Bad Dream」が流れていた時はその異質性に少しドキッとしたりもした。

これってチャットモンチーやくるりやその音楽性に限らず、例えば全くリファレンス(参考情報)を持たない海外の人たちがそれを聞いた時ってなんか日本っぽく感じるとか、フジヤマが思い浮かぶ、みたいなこともあるんだろうかと考えると、これは音楽に限らずだけれどその空気感を理解することって実はすごく複雑で、それまでアーカイブされた情報や経験を通して、かなり複雑かつ体系的に脳や感覚は情報を処理しているんだろうなと思わせられる。

考えてみれば、国籍や言葉やそれまでの経験が全く違うのに同じ曲や音を聞いて「これは楽しい、これは悲しい」と共通に理解できるというのも不思議ですごいことだよなぁ。


そして今宵は宇多田さんのオンラインライブに参加するために色々準備をしています。

楽しみ。


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