象徴なんていらない

子どもと灼熱の炎天の下ずっと遊ぶという魔の四連休をなんとか切り抜けたわけですが、新たな週が始まっても満身創痍感が抜けず、思いや情熱だけでは年齢に勝てないことを実感しています。(思えば20代は本当に体力オバケだった)


今週は、象徴なんていらないっていうことを考えてます。(雑な切り出し)

多様性とか、女性の活躍とか、ジェンダーレスとか・・何かにつけて「〜の象徴」を見かけるシーンが多いですが、本当に必要なのは象徴でも印象でも権化でもなく、その事象が成立するに足る、具体的な「支援」と「制度」だと思う。


何にせよ「〜の象徴になりたい」と思って生きている人はいないじゃないですか。(いるのかな?)そうではなく、それぞれの道をひたむきに走ってきた結果が、その”象徴”と呼ばれているのであって、それが"象徴"として必要とされるということは、その事象が定着していない証ということでもある。そんな中「〜の象徴」と一方的にラベリングされるのってどういう気持ちだろうか、と考えてしまう。(しかも〜大使などと違い、〜の象徴って事前に個人の承認なしに行われるしね)


「多様性の象徴」という言葉自体が既に多くの矛盾をはらんでいることにも。多様性は、象徴できないからこそ多様性であると信じたい。そして、早く象徴のいらない世界に少しでも近づきたいと思う。

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