諸行無常(にあらがう)

日々、灼熱の中、気が遠くなるような引越し作業を通して、自分の過去や諸々と対峙してます。 私にはいわゆる「実家」という場所が存在しないので、小学校時代から大学〜就活の時のものなどが自宅にあり、だからというのもあるかもしれない。

今日は、大学時代に父に買ってもらった東芝のdynabookとさよならしました。

いま考えると相当ぶ厚く重く、これを毎日背負ってモントリオールの大学に雪のなか登校していたのは体調不良をきたしかねなかったし、就活のエントリーシート数十社分もこれで行っていたという本当に思い出深い存在。でもきちんとした業者さんにメモリー消去依頼も含めてさよならできたので、なんだか誇らしい気持ち。


なにかものを手放すときに、本当は何も変わらないものなんて何ひとつないこと、そして実は自分はそれをよく知っていて、変わらない(ように見える)ものを手元に置いておくことで、その諸行無常に少しでも抗おうとしているんだよな、と感じる。そんな自分を認識し、微笑ましいと感じる程度には大人になれたのかもしれない。

そして日常生活から一歩俯瞰してみることとか、普段会えない家族と時間を過ごしてこれまでの1年を振り返ったりすることとか・・がない生活は、実は認識している以上に心身に負荷をかけているし、しんどいものであることも再認識。特に我が家は親戚・家族が全員西方面に離れて暮らしているので、やはり年に一度、特に夏にはそういった場所に戻らないと、どこか寄りどころがないような心持ちになってしまう。(私はこれを勝手に"桜島欠乏症候群”などと呼んでいる笑)


だからいま、こうやって過去のものと向き合い日常生活から一時的に視点を逸らすことは、結果的に大事なことだったのかもしれない。そう考えて、生まれて初めての真夏の暑すぎる引っ越しで後悔している気持ちを少しでも和らげたいと思う。笑


最近、何名か学生の就活をお手伝いというか助言したりしているのですが、基本的に「内面に向かい続けることによる"自分探し"は禁止」と伝えています。もちろん内面を見つめて、自分と向き合ったり考える時間は必要。でも”自分"という世界で一番つかみどころのない存在は、なかなか自分の内側に求めても見えてこなかったりする。それよりも、どんどん世界に出て行って、色々な人たちと(中には良い人たちばかりではなく)出会うことで、自分が当たり前だと思っていたことの視野が広がったり、自分の特性(得意なことや苦手なこと)も初めて見えてくるのかなと思う。コロナ禍で物理的に出ていくことが難しくても、オンラインとかSNSとか、いくらでも自分の世界を広げられる方法は溢れている。


そして私自身も、30代になってもまだまだそんな感じ。

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