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湿度と言語

のんびりと今後のことを考えていた3〜4月に比べて、5月のなんと怒涛なこと!

特にこの1週間はフランス人家族滞在からのアテンドからの大学講義からのキャンプからの帰国、で久々に記憶が飛ぶぐらい忙しくしていました。が、普段使わない脳のどこかの部分をフル活用して、とても充実した時間を過ごせました。Merci✨



・湿度と言語

昨年11月、12月、今年5月、(そして今年7月も)フランスの方々とのご縁をいただき、仕事やプライベートで多様な方々と過ごす中で、たくさんの気づきから日本のことをまた違った目線で再発見することができた。特にずっと考えていたのが「湿度と言語」で、私たちは思っている以上に、湿度をはじめとした環境的要因と、言語の持つ特性に思想やライフスタイルや生き方が多大な影響を受けているということ。欧州ではより冷涼で乾燥、日本ではより高温多湿な環境によって、それぞれに長い時間に育まれた歴史風土と食文化、ひいては衛生観念をはじめとした各種文化があり、ひとくちに「エコ」「サステナブル」といってもそれぞれの正解があり、ひとくくりにはできないこと。


例えばフランスの友人はエコボトルを持ち歩き、1〜2週間はそれを使い日々の飲料をカバーしているのだけれど、この管理がかなり(日本人視点からするとちょっと心配になるぐらい)ラフ。日本人なら専用スポンジを持ち運んで管理するようなところ(ボトルの中が洗えないので)、友人は日々ちゃっちゃと水でゆすぐだけで、失礼ながら私は一瞬心配になったのだけれど「あぁそうか、これが彼らにとっての衛生観念なんだ」とすぐに納得した。より乾燥して冷涼なフランスではこの管理で良くて、より高温多湿な日本ではそうではなく、古くからの微生物や腐敗との戦いがあったからこそ、日本独自の発酵食や焼酎やひいては神道などの宗教観(白や無垢を最も良きものとして崇拝する、それは安全と繋がっている)の発達にもつながっていったんだなと。


そう考えると、日本の今のプラスチック文化も必ず改善していかなければならないが一概に否定はできず(古来からの発酵技術や輸送技術の代替として現在のプラスチック文化がある)、まさに背景と前提を知るところから未来はあるなぁと。そして私たちが認識している以上に、現在の気候変動は私たちの心身だけではなく、暮らしのあり方や精神性、文化にまで大きな影響と変化を与えているのだろうなと。私たちはもしかしたら無意識に、大きな変動の中を生きているのかもしれない。皆さんご自愛ください🙏


そして言語にも、私たちは思っている以上に人格やキャラクターやライフスタイルを定義されている。というのも、これは前々から感じていたのだけど自分自身が日本語で話している時と英語で話している時の人格というかキャラクターが意図せず異なってしまうからで(恐れ多くも宇多田ヒカル先生も同じことを言っていたかな)、よくよく考えると言語によってそれが定義されるのは当然のことでもある。どこまでも主語を重視する英語やフランス語(天気やモノに対しても必ず主語がつく)と比較して、日本語は主語を省略できる強みと弱みがある。それが強く活きるときは、「阿吽の呼吸」とか、「空気を読む力」とか。そしてその弱みが出てしまうのは対外的な「ブランディング&マーケティング」とか「責任の所在」とか、いままさに私たちが日々直面しているような課題。


言語学習もAIの発達によってこれからの課題になっていくと思うが、こういう学びがあるからこそ、そして自分の第一言語を俯瞰して見られるからこそ(思えば私は英語習得過程でかなり論理的思考が鍛えられた)、自分自身で語学を習得することは忘れてならないとも思う。それぞれの良いところ・悪いところを学んで自分たちの意思で選択していくことがますます不可欠ですね。そして余談だけれど、観光のプロであるフランスの友人と今後の日本観光のあり方について議論していた時にもその話になり、とても面白かったのでその辺りはまた機会があれば書こうと思う。


・フランスの子育て、日本の子育て

そして今回は特に、日仏子育て旅ということもあり(友人の子は1歳3ヶ月、我が家の息子は5歳4ヶ月)、その点でも大きな気づきの連続だった。中世の絵画描法に代表されるように、フランスの子育てはまさに「小さな大人に接する

」感覚で(もちろん家庭によって差はある)、またもや失礼ながら日本人の感覚からすると「まだ言葉がわからない子にそんな言ってもわからんやろ」という局面が多々あったのだけれど、彼らからすると「小さくても彼女は理解しないといけない」と。フランスの義務教育(厳密には義務ではないけれど)が、3歳に引き下げられたのもまた納得で、改めて年齢に関わらず規律を重んじる文化に尊敬の念を感じた。


どこか出かける時にも大人が中心なので、日本と違って子どもに気を使う(?)ようなこともなければ、両親が子ども中心のライフスタイルを合わせ変化することも日本に比べると少ない。さすが多くの若者に婚姻ではない新たなパートナー制度を与え、先進国の中で唯一出産率を引き上げた国・フランス!と感じる一方で、どちらが良い悪いではもちろんなく、日本の子育ての素晴らしさも感じることができた。


日本では婚姻関係を結び(その過程で多くの女性が自分の姓を捨て)、両親が子ども中心のライフスタイルに変化していかなければ子どもを産み育てることが難しい一方で(だから出生率が下がるのは当然のことでもある)、「子は国の宝」という言葉にも代表されるように、本当に子育て家族や子どもにやさしい商品・サービス、子ども向けのおもちゃやキャラクターがたくさんある。フランスの友人は日本ではどこかに出かけるのも、トイレに行くのでさえベビーシートやおむつ替えシートがあるので、日本はすごい!と絶賛していた。自分も子育て真っ最中なので、時に悩んだり、世界的な教育や競争力から置いていかれるのではないかという漠然とした不安を感じる時もあるのだけれど、確かに日本的な教育や子どもを取り囲む文化においては、海外では見られないようなタイプの巨匠(例えば先日亡くなられた鳥山明先生など)が輩出されるのも事実。もしかしたら、日本独自の「子ども世界の余白」とか、「子どもでいられる期間の長さ」みたいなものは、日本人だからこそ見えないけれどもっと評価してもいいのかなと感じる。この辺りはまた自分の中でも研究していきたいテーマ。


さぁ、6月も少しまたゆっくり仕込みをして、7月以降の怒涛に備えよう。

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