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  • chiharuf

フィクション

大人になって仕事と子育てをしていると、すべてがノンフィクションで途方もなく現実の出来事であり、そこかしこで常に問題が起きては現実に直面し続けるという感じで、なかなか物語やフィクションに触れる時間がなかったりする。でも私は、生きていくのに物語やフィクションはとても大事な役割を担うと考えている方で、かつ日本は日常的にあらゆる多様なフィクションに触れられる環境が育っているとも思う。しあわせなことだ。チェコでは言論弾圧の裏側で人形劇が発達したが、現実の問題が山積みになっている環境では、文化や教育やフィクションはいつだって遠くへ追いやられてしまう。



・映画「聲の形」

超今更ながら、ようやく「聲の形」を見た。そして人生で片手に入る大好きな作品になった。公開時に出会えていたら、私の人生はもっと変わったかもしれないと思うほど。個人的に感じたメッセージは「自分が変われば世界が変わる」ということで、私はあらゆる作品につけこのテーマに目がない。子どもの頃に感じていた退屈さや疎外感、好奇心や罪悪感、世界へのやり切れなさなど、この作品にはすべてが詰まっていて、主人公が子どものように泣きじゃくるエンディング、気づいたら私も一緒になって泣きじゃくっていた。大人になってから心底素晴らしいと思える作品に出会えるのは素晴らしいことだ。そして4年前の痛ましい事件を改めて苦しく思う。


・戦争と平和

日々できる限り海外現地の一次情報にアクセスし情報に触れるよう心がけているが、そこで浮き彫りになってくるのは、私たちのように領土と主権が保障された八百万の神の国に暮らす民には到底理解することすら難しい主題。改めて世の中には、到底分かり合えない、理解し合うことの難しいことがあるのだと。まずそこを認めずに「平和を」と安全地帯から叫んでみたところで、なんの足しにもならない無力感。だからこそできるだけ現地の情報に接し、勉強しようとすることが重要なのだけれど、、

何千年にわたり世界で迫害されたり、生まれた時から「天井のない監獄」で生き、世界のどこかから自国や民族を根絶やしにしてやろうと思われながら生きるってどんな世界なんだろう。その状況を想像し、歴史を学ぶことしかできない。戦地からSNSで現状を発信し続けるミレニアム世代の発信を見ながら、日々そんなことを途方もなく考えている。


・「なんで?」の持つ力

世界が変化するスピードがより加速し、よくわからないものや判断できないものが加速度的に増えていく中で、思考停止に陥らず、一度立ち止まって「なんで?」と問うことの重要性を再確認している。日頃の業務だけではなく、こんなに多様性が謳われながら、日々押し付けられる「あるべき」に対しても、心の中だけでなく声で「なんで?」と言い続けることでしか変えていけないとすら思う。「なんで?」は誰のことも否定しない。けれど、改めて立ち止まり、相手にも自分にも考える時間をくれる最強の言葉。


今日も自分や他者に、中から外から、「なんで?」と問い続けながら歩いています。

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