ノイズに耳を傾ける

「ファクトフルネス」がベストセラーを誇り、コロナ禍で世界的にデータ&サイエンスの重要性が日々謳われる中で、それ以外の情報である「ノイズ」をいま改めて大切にしたいと思う。


人間はどこからやってきて、どこへ行くのか。なぜ生きて死んでいくのか、どこからが生で、どこからが死なのか、現代医療が便宜的に決めたものはあれど、正確には答えが見えていないというかわからないことの方が多い「生きている」「人間」のすることって、そんなに正確で杓子定規に測れるものなのかなぁと思うことがある。

日々、仕事や会議をしていても「論理的にはそうなんだけどさぁ」っていうこと結構ありませんか?

決してデータ&サイエンスを否定するつもりはないし、むしろデータ&サイエンスとノイズは両立しうるとも思っているんだけど、「その通りかもしれないけど、自分も相手も人間だし、日々私たちが対峙しているのは自然だし、そうじゃないことももちろんあるよね」という前提を共有できるかどうか。むしろその一刀両断できない隙間をどうしていくかこそに人間の真価が問われるのではないのか。

経営は数値化できる、経済は定量的なものである、でもそれらを運営しているのはあくまでも不確定で定性的な人間であって、変数が多く存在する中でどう臨機応変に対応できるか。ここの部分がいま日増しに問われている気がします。逆にいうと、ここを踏まえられている人はこれから強いと思う。強さというのは、従来のような声が大きくて多くの人を従わせるような強さではなくて、時代や変化に臨機応変に対応しながら自分らしくいられる人のこと。この価値観も急激に変化している。

特に定量的で効率的なことはどんどん機械やAIがやってくれる中で、より非効率で、複雑で、100個あったら100個違うようなものにこそ人間らしさがより見出されていくのではないか。というかそもそもそれが人間ではないか。従来の経済性の中で真逆の価値観(100個あれば均一な100個が求められていた時代)を求めてきたことを考えると、かなり難しい発想の転換かもしれない。けれどそれは努力などしなくても、自分探しなどしなくても、すでにそれぞれの中に生まれ持ったものでもある。そう考えるとどんどん良い時代になっているという希望を持てますね。(実際に凶悪事件数は戦後どんどん減っている)


これはまた別の機会に改めて書きたいと思っていたんだけど、データ&サイエンスの重要と比例して、アート&フィクションの重要性も増していると感じる。このところ考えていたこの部分については、偉大なる養老先生がすでに1年前に明確な解を出してくださっているので(脱帽)、引用しつつ今日の授業に向かいたいと思う。


養老先生曰く、医療も急激にデータ&効率化される中で、懸念すべきはその排除される「ノイズ」(患者の顔色とか、声色とか)なのだそう。


”自分が日常を生きて行くときに排すべきなのは。本日のコロナによる死亡者何名という神様目線であろう。神様目線が生存に有効になるような社会を構築すべきではない。神様目線の対極は文学の目線であろう。我が国の文学は伝統的に花鳥風月を主題としてきた。当たり前だが、花鳥風月は人ではない。コロナが終わった後に国民の中に対人の仕事をするより対物の仕事をする傾向が育てばと願う。”

(インタビュー記事「コロナ問題で変わっていく価値観とは何か 養老孟司が考えるコロナ論」

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