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chiharuf

わたしの民主主義

日々、つらいニュースや映像が飛び込んできては、ただただ現場で苦しむ人や亡くなる人が増え続けていることを悲しく思う。愛する国や地域、家、人を残して去ることはどんなにつらいだろう。そして国家や民主主義というものについて深く考えさせられる。自分がいかに平和ボケして生きているか。そしていま生かされている環境は、決して自分だけで勝ち得たものではないこと。

あの悲惨な戦争の後、各国が国境を超えて経済や文化を共有し、長い時間をかけてともに育ってきたと信じていたものが一瞬のうちに崩れ去るのを、超情報化社会の今、それを人類史上最もリアルタイムで目撃できてしまう(しかし具体的に自分にできることがあまりにも少ない)ことの歯痒さを日々感じています。

戦況が続き数週間経つうちに、彼の国はおそらくこんなに時間をかけることなく制圧できると想定していただろうこと、現場の兵士達の士気が著しく低く、幹部との連携がうまくいっていないことなどが報道され始めた。 国家にとっての民主主義、私たち個人レベルでの民主主義、いろんな形があるだろうけど、そうではない形の統治が長期的に見ていかに機能しないものか、そしてかつて日本もそうであったように、なぜ民主主義が地球上にどんどん広がっていくかをリアルタイムで眺めているような気がします。

これはやはり普段の私たちの日々のコミュニケーションにおいても全く同じく言えることだと思うのだけれど、独裁の一番のリスクは、その本人にスピーディかつ正しい情報が入っていかないことだろうと思う。旧世代的なトップダウンのあり方、ダウンからの忖度など、さまざまな構造的要因が事実をより見えづらくし、この変化の激しい時代において臨機応変に判断し、行動することを何よりも阻む。それは結果として、そのトップを苦しめる壮大な不利益となる。それは普段の仕事やコミュニケーションでも全く同じで、お互い尊敬の念を持って接することはベースとして大切にしながらも、従来の枠やあり方にとらわれない組織がいま何よりも変化に強く、成長していると感じる。特に日本はここが今も昔も大きな課題。

そしてとにかく言えるのは、いつだって犠牲になるのは弱いものたちで、戦争がなくとも日々精一杯生きることと闘っている立場の弱い子どもや病人の方が声を上げることもできずに命を奪われるようなことがもうあってはならないということ。彼らを脅かすような奴らは全員、お母さんに産んでもらった瞬間からやり直せと言いたい。引き続き微力ながら自分にできることを模索していきます。

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