いまを大切にする
昨日、1ヶ月ぶりに整体へ行ったら「これまでで一番、脳と神経が疲れています」とお兄さんに言われ、身に覚えがなく。もしかして11月のビッグプロジェクトが尾を引いてるんか?と少し怖くなっています。笑
10代〜20代の若い頃って、とかく大人から「いまは貴重な時間」とか「若い時の時間は大事なんだから」とか言われません(でした)か?私も結構言われていて、頭ではわかっていたんだけど「いまを大切にする」っていうことが具体的にどうすればできるのか、よくわからなかったんです。
「いまを大切にしてる!」と思いながら過ごしていても、後から考えれば「もっと別の選択肢があったな」とか「もっと頑張れたんじゃないかな」とか。もっというと、「大切にする」ということがよく分からなくて、何もしてない時期もあったし無駄にガムシャラな時もあった。だから大学当時、同級生から「ちはるはもっとポテンシャルありそうなのにね笑
」と言われたこともいまだに覚えています。(たぶん何もしてない時の方が多かったんだろう笑)
でも今だから思うんだけど、「大切にできていたかどうか」って後付けの要素がすごく大きい。当時は頑張っていたとしても、ベクトルが違えばそこに後悔は残るし(でも頑張った分何かは掴み取れたかな)、何もしなかった時期もそれはそれで後悔するけれど(その時期があったからその後ガムシャラにやれたんだよな)とか。そしてどんなに「いまを大切に」を積み上げていたとしても、その結果としての「いま」が幸せじゃなければ意味がない。そして未来の結果ばかり追っていても、「いま」はなかなかこちらを振り向いてくれない。
そして「しあわせ」というコンセプトも、よく分からないもののひとつで。
私の好きな湯川潮音さんというシンガーソングライターの歌詞で、とても好きなものがあるんだけれど、「しあわせ」というコンセプトはこれに限る。といまのところ考えている。
羽のように軽やかに生きていたい
らしくなんて今はもう気にしないで
しあわせより喜びをずっとずっと探している
♪「羽のように軽く」湯川潮音
「いま」と同じで、「しあわせ」も、そればかり見ているとこちらを振り向いてはくれない。
一瞬の「喜び」を積み上げた先に見えてくる、みたいなものなのかな。というか人生全体に言えることとして、何か手に入れたいものとか目指しているものって、そこに集中して見つめ続けているときにはなかなかこちらを振り向いてくれない。手を尽くして、できることをしたあと、よそ見をしていると向こうからやってくる、そんな風に思う。
「いま」についても「しあわせ」についても全く明快な答えなどないし、昔の「いま」を現在の「いま」から解釈し肯定することで、なんとか自我を保ちたいだけなのかもしれない、そんなところで宇多田ヒカル先輩が去年デビュー21周年に際して発信した、素晴らしい言葉で最後を締め括りたい。先輩が言うように、いま抱えている「後悔」と「罪悪感」を選別して棚卸してあげることも重要かもしれないね。後悔は思い出にもなるし、原動力にもなりうる。
生きていると後悔はつきものだけど、
後悔と罪悪感を切り離して、
いくつかの後悔は大事な思い出とともにしっかり抱いて、
誰も悪くないってわかってても抱えてしまう罪悪感は
手放してあげようと思えるようになった一年でした。
それでは今月二度目の松本へ行ってまいります。
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